代表について

諦めず出来る方法を探すタイプ

食物アレルギーがあっても楽しく生活できます

Living with Food Allergy 食物アレルギーと共に生きる

アレっ子ママ

大学生息子がいます。

かわいそうと言われる日々

自己紹介をします。

 
アレっ子ママ、つまりアレルギーっ子のママをして21年です。
息子は生まれた時から重症の乳・卵・ピーナッツ・そば等々食物アレルギー。
アトピー、加えて喘息・花粉症・鼻炎・ハウスダストなど色々持っていました。

21年前は、完全除去の時代。
食べられないアレルゲン食材をどう除去するのか。


アレルギーに関する知識がなかったので、図書館でアレルギーの本を読み漁り、食物アレルギー対応食を見よう見まねで作る、食べ物以外でもアトピーがあったので肌着を裏返しては塗ったり、夜中に体を掻きむしらないように腕をもって寝る日々でした。季節の変わり目は胸からゼエゼエ音がする。
咳き込みが、誤食なのか喘息なのか風邪なのか分からず、不安でいっぱいでした。
何て言ったって、除去といっても食材が入っていなければいい、入っていても取り除けばいいというレベルではなく、同じお箸を使って取り分けただけ、そんな微量でみるみる呼吸が苦しくなり全身に蕁麻疹が出てしまう、アレルギーのある食材が手についたら腫れあがってしまうわけですから、怖かったです。

元々料理は苦手だし、新米ママというだけでもハードル高いのに、同じような食物アレルギーのお子さんがいる人が周りにいないし、どうしていいんだかさっぱりわかりませんでした。

 
小児科の診察では、治療に関わることが中心で時間も限られている為、お医者様に日常生活の不安を話すことはできず、うちの子にも食物アレルギーがあるよ!というママに出会えても、食材を火を通せばうちは食べられると聞き、より凹む。
 
うちの子だけが重症なのかな・・・。


食べられないケーキなど頂き物をやんわり断ると
『かわいそうにねぇ』と言われ
『お母さんもアレルギーなの?だからお子さんもそうなのかしらね』


私は小児アトピーがあったので私のせいかな・・・。
独身の時パンばっか食べてたからな・・・。
わけもわからない中、自分を責めない日はありませんでした。


 
そして気をつけているのに、表示ミスや配膳ミスによるアナフィラキシーショック経験が続き、神経が逆立っている時代が続きます。
この子の命を守るのは私しかいない!必死でした。
 


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海外の食物アレルギー事情

1つの大きな転機がありました。


長年勤めた英会話スクールは、オーナー含む全ての同僚が外国人という職場で、当時日本にあるアレルギーの会を知らなかった私は、彼らから世界のアレルギー事情を教えてもらいました。海外には子どもたちが自分たちで命で守れるように学ぶ場があることを知り、保護者じゃなくて当人が?とても驚きました。
 
ガッチガッチに周りを”安全”という名の母の管理で固めていた頃です。
なんでもかんでも危ないからダメ!やめとこう、誤食したらどうするの?
常に食に絡むイベントのときは、鬼の形相でした。
さぞかし周りも気を使ったことでしょう。

 

籠の中の鳥

会社の集まりに誘われ、当然のように断ると
『なんでダメなんだ?食事はちゃんとアレルギー対応で準備したよ。』
『せっかくの機会で子ども本人があんなに楽しみにしているのに参加がダメなの?』

『そうやって籠の中の鳥にするつもりなの?なんの体験もさせずに過ごさせるのかい?』
 

周囲の理解

グサリときました。

良くも悪くもハッキリYes Noを伝える外国人同僚たち。こっちは一生懸命に息子を守っているのに、言いたい放題何なんだ・・・。最初はそう思う時もありましたが、オーナーたちは英会話スクールで開催する全てのイベントに息子が参加できるように、出すオヤツやクッキングのメニューを乳や卵のアレルゲンなしにしてくれました。
 『こんなことは大したことじゃない。ちょっと変えたらいいだけ。そこだけ守れば、君の息子は他の子と何もかわらないだろう。楽しもう。ほら、あんなに楽しんでいるよ。』

好物の寿司を食べるときとは、また違う見た事のない笑顔。

その笑顔がショックで泣けました。
 
他の講師たちも、学校給食メニューにあわせようと思っていた私が
代替ケーキが上手く焼けないんだよね・・と話していたら

『みんな違っていいんだから、気にしなくていいんじゃない?』
『好きな物持たせたから?食べられる物をさ。』
『美味しく皆で食べたらいいんだよ。見た目が全く同じである必要なしなし!』
随分救われました。
 
『色んな国に食物アレルギーの人はいるんだよ。 だから、こうやって食べられるものを自分で選んだらいい。 自分で食物アレルギーがあるって説明できるようにね。』
そうか、自分で説明できるようにしたら行動範囲も広げれる。
いざとなった時、息子にもどうすればいいのか教えよう。
 
 

『ご飯のパックを持っていけばいい。 レストランで食物アレルギーがあるって伝えて、温めてもらえばいいよ。 塩で焼いたチキンがある、確認してチョイスしたらいい。』
諦めなくても方法は他にもあるんだ。
 
こういった環境の中、息子はいつか英語話せるようになって海外へいってみたいというようになりました。みんなのサポートもあり、治療どまんなかの小学6年にカナダへの短期留学を経験しました。(保護者なしで・・オーナーと一緒に飛行機へ乗って)
 

周りを信じるということ

周囲の理解があると、こんなにも世界が広がるんだと実感。
食物アレルギーだからこそ、食に強くこだわり続けていた私。
全部諦めなくてもいい。視点を変えよう。そのころから、助けてほしい時には助けてというようにしました。
卵・乳が入っていない商品がないんだよねといえば、皆がこぞって海外で流通している商品をくれました。伝え方も随分上手になりました。

 
私が息子の安全を願う気持ちが強すぎて暴走してしまった時、
『それは随分と偏った考え方をしているね』とハッキリいってくれていた英会話スクールの同僚、周りの友たちに感謝です。
止めてくれる人がいて良かったと思います。

 
食が絡むイベントは結構色々あります。
お友だちとのイベント、学校での行事、習い事の合宿、きりがありません。
何かにつけて、食は絡んできます。
 
でもちょっとの配慮があれば可能なことも。
ちょっと視点を変えたら、一緒に参加できることも。
 
自分たちだけなら、きっと諦めていたけれど、わたしたち親子には、偶然にも日本にいながら日本ではないような考え方をしている友が沢山いて、息子には色々なことを体験できる機会がありました。
だから、私はLFAの子ども達にも息子と同じように、色々な食を含んだ体験を沢山してほしいと思っています。
 

主治医との出会い

私たち親子にとっては、人生の一番の転機は主治医との出会いです。
25メートルプールに1滴のミルクを垂らしたくらいの濃度でさえ、呼吸困難や全身蕁麻疹などのアナフィラキシー症状ををおこしてしまうような息子。息子さんは、一生完全除去の生活でしょうといくつもの病院で言われました。
 
それでも諦められず、良いと聞けば遠くの病院でも連れて行きました。
何故そんなに探したかというと、スーパーでの表示ミス・保育所での誤食・原因不明の蕁麻疹や咳、完全除去をこれでもかと実施しているのに、アナフィラキシーという激しいアレルギー症状を出すことがあったからです。
 
微量の混入で苦しまなくて良いようにしてあげたい。
私が息子を守れる間に。
 
途方にくれていた時、近所の小児科の先生に、うちでは診れないけど私の先輩の病院へいってみる?と言われ出会ったのが、今の主治医です。白衣も着てないニコニコ笑顔で、息子とテーブルで向かい合わせに座り話してくれたのが印象的でした。
『まだ日本では実例がない、海外で5例しかない新しい治療してみるか。
先生も怖いけど、一緒に協力してくれるか。やってみるか。』
『はい!(息子)』
 
そういって牛乳の経口免疫療法(当時は急速減感作療法)をはじめ、今はエピペン(アドレナリン注射)は持っていますが、お弁当や市販品が一通り食べられるようになりました。
 
治療は、想像以上に大変でした。一歩進んで二歩下がる。

道なき道を進むのは、先生も保護者も当人も周囲も大変です。
食べてはいけない食品を食べて治療する。
学校の先生や友だちに理解してもらうのに苦労しました。
治療で食べていても、家の外では完全除去の生活が続くわけですから、
相変わらず、誤食にドキドキ、治療にハラハラ、悩みは尽きません。

本人は更に食べてはいけない!と言われている食品を食べるので、
苦手なにおいを克服するために鼻をつまんで食べるなど、それはそれは工夫しました。

 
先生の支え、そして入院中に初めて出会ったアレルギーの話ができるママ友との雑談や商品の情報交換がとてつもなく支えになっていました。
 

一歩進んで二歩下がる、それでも前には進んでると毎日言い聞かせ、色々な乗り越える方法を試して頑張りました。息子の反抗期の治療は、特にしんどかったですが、先生と息子に強い信頼関係ができていたので乗り越えることができました。
 
1回の治療で終わらないのが、食物アレルギーの治療。
継続と忍耐です。それは子どもだけでなく、保護者の心も悲鳴をあげます。
ココロのケアがあってこそ、治療は成立するなと思いました。
 

10年前と変わらない悩みと壁

息子の治療が少し落ち着いてきたとき、同じように治療や学校とのやりとりなどで悩んでいる沢山のお母さんに出会い、どうやって乗り越えてきたかを伝えたら、彼女たちは実践し、それが上手くいったケースがいくつもありました。

 
同時に、うちの息子は治療が上手くいったほうなのかもしれない。
でも全く気にしないでというとそうでもないですが、息子はエピペンという注射器をもちながら、食事について上手にコントロール出来ていると思います。
でも、治療ができない、うまくいかない人もいるかもしれない。

それでも食物アレルギーと向き合って生きていかなえればならない時、
同じ悩みを持つ人たちが話し合える場所ができたら、どんなところに気をつけたり工夫したらいいのか情報共有できて前に進めるんじゃないかな。
 
そう思って設立したのがLFAです。

目指すビジョンは

LFAへの想い

あったらいいなを形にします

 

1.正しい知識を得る場所を
ないなら作ってしまいましょう


アレルギーに対する考え方はこの10数年でも驚くほど変わっており、当時、当たり前だった食物アレルギー情報が現在の考え方と真反対です。
完全除去していれば治るだとか、古い情報・誤った情報をSNSを通して信じてしまったり、
以前よりも理解者が増えてはいるというものの、未だに食物アレルギーは、ただの好き嫌いだと言う認識の方もおられます。
そして何より、難しい。ならば、かみ砕いて説明します。
食物アレルギーに向き合う上で正しい知識を身につけましょう。
 

LFAのココ注目!

エピペン講習会・医師や看護師、専門家による学びの場

 

2.園や学校での生活
色んな裏技おしえます


今は以前に比べて、学校側がアレルギー症状が悪化した時に打つエピペン(アドレナリン注射)の研修や、調査書類、食物アレルギー対策など国をあげて対応をするようになってきています。
でもよく現場の先生たちの声に耳をかたむけると、とっても苦しそうな現状があります。
入学前はあんなに熱心だったのに、少し慣れてきたらやってもらえるだろうと、任せっきりになっていませんか。
子どもの命を守るためには、保護者・当人そして先生たちのサポートがあってこそです。
集団行動の中、できること、できないこと。
先生への伝え方、保護者として動けることはどんなことか話し合いましょう。

 

LFAのココ注目!

保護者交流会・子ども交流会・LINE相談


3.日々の生活
相談できる相手を増やそう
その中にきっとあなたに合うやり方がある

 
アレルゲンに気を付けながらの毎日の食事。
メニューも時には行き詰ります。レパートリーには限りがあります。

アレルギーで摂取出来ない栄養素不足も気になります。
手作りご飯はもちろんいいですが、無理しすぎずに市販品も上手く取り入れればいいと思います。どんな商品が使いやすいですか。情報共有しましょう。
お友だちの家でおやつが出たら・・・ママ友には何て言おう・・・
周りへの伝え方は本当に悩みます。先輩ママに聞いてみましょう。
 
そして、たまには一リラックスして家族みなさんでご飯を食べましょう。
 

LFAのココ注目!

保護者交流会・LINE一斉配信情報・クッキング講座・10大アレルゲン除去ビュッフェ

 

4.自分の命を守る術を知る
学んだ後に実践してみよう

 
もちろん年齢もありますが、お母さんがいないと何もできないより、自分の疾病を理解しアレルギーのある食べ物から身を守る。
もし、万が一症状ができたときに、どうやって周りにSOSを出すのかを知ることは大事なことです。仲間と一緒に学んでいきましょう。
LFAのキッズキャンプは(守らないキャンプ)です。
気を付けるポイントを知り、実際に自分で判断したらそれは自信に繋がります。
生きてく力はそこにある!
 

LFAのココ注目!

親子エピペン講習・子ども交流会・アレルギーっ子キャンプ・TEEN-MEET

SNSを活用

新たな課題


 

いざという時、
頼りになるのは
身近な知識のある大人

当事者だけで動いても、問題は解決しない。

 

いざという時、
頼りになるのは
身近な知識のある大人

当事者だけで動いても、
問題は解決しない。

なぜ同じ問題が続いているのか。

2018年の西日本豪雨や北海道地震の物資支援に少しだけ携わったことで、大きな気づきがありました。
災害時に食べられる物がない。
東北の震災でも、熊本地震でも8日間物資が届かなかった。
これはとても衝撃でした。
 
食べることは生きることなのに、炊き出しや配布されている物資はアレルゲンが入っていて食べられなかった。備蓄していても家から持ち出せないときもある。周囲に言い出せない現状

動いてみました。

繋がりのある兵庫・愛媛・広島・山口・岩手・大阪にある7つの団体で、アレっ子ななつ星寄付金を立ちあげ、1週間で集めた資金90万弱で支援物資を購入し被災地へ送りました。

 
支援活動を通し、当事者の備蓄の必要性・周囲へ自分で食物アレルギーについて伝えることの意味、また周りの人に疾病であることを理解して協力してもらうことが必要だとわかりました。

動いてみました。

 地域で考える防災というタイトルで、兵庫・大阪・京都で一般市民の方へ向けて災害時に食物アレルギーの人は何が困るのか情報共有を行う講演会を開催しました。

 
講演を通して、当事者が備蓄をあまりしていない、なぜなら購入場所が限られていて箱買いしかできない現状や、どれくらい準備したらいいかわからないという声を聞き、全国532名のアンケートを元に防災ハンドブックを作成しました。

動いてみました。

アレルギーっ子ママが考える防災ハンドブックを作製・印刷

 

動いてみました。

冊子増刷の為に、クラウドファンディングで200万円寄付を募り、5万部増刷しました。現在も全国のアレルギーの会から地域へ向けて配布中です。

 
保育所・幼稚園・小学校など集団行動の場、地域イベントに関しても同じ、
食物アレルギーがある人に関わる全ての人に、注意点・危険性・回避方法を正しく理解してもらうことが命を守るうえで大切です。
 
 

協力してもらうためにどうずればいいのか。
当事者の声や要望を伝えるのも大事だけれども、相手側が(しらない・わからない)ことは何なのか、どういうことが手助けになり、どういうことなら協力できそうなのか。当事者は何ができるのか。

 
 

 みんなが出来ることを少しずつすることで、実現可能なことがある!

動いてみました。

大阪府茨木市でいばらき親子防災部と一緒に炊き出し訓練をしました。
地域の防災士や婦人会、子育て支援の方がも参加して下さり、アレルギーの表示の見方を学びました。

 地域知識

地域のお祭りで、アレルゲン表示をだして下さるエリアが出来ました。
市のお祭りでも、出店者にはアレルギー表示の提出を必須にするなど、地域の運営実行委員会の方々が一緒になって動いて下さいました。

 

食物アレルギーと共に生きること
それは食物アレルギーがない人とも共存する社会です
お互いに歩み寄るための提案をしていきたい
 

一般社団法人LFA Japan

新たな取り組みの始まりです
 
当事者団体の声をこのLFAできちんと受け止め、そして発信していく
今わたしができること

 

 

なぜ同じ問題が続いているのか。

2018年の西日本豪雨や北海道地震の物資支援に少しだけ携わったことで、大きな気づきがありました。
災害時に食べられる物がない。
東北の震災でも、熊本地震でも8日間物資が届かなかった。
これはとても衝撃でした。
 
食べることは生きることなのに、炊き出しや配布されている物資はアレルゲンが入っていて食べられなかった。備蓄していても家から持ち出せないときもある。周囲に言い出せない現状

動いてみました。

繋がりのある兵庫・愛媛・広島・山口・岩手・大阪にある7つの団体で、アレっ子ななつ星寄付金を立ちあげ、1週間で集めた資金90万弱で支援物資を購入し被災地へ送りました。

 
支援活動を通し、当事者の備蓄の必要性・周囲へ自分で食物アレルギーについて伝えることの意味、また周りの人に疾病であることを理解して協力してもらうことが必要だとわかりました。

動いてみました。

 地域で考える防災というタイトルで、兵庫・大阪・京都で一般市民の方へ向けて災害時に食物アレルギーの人は何が困るのか情報共有を行う講演会を開催しました。

 
講演を通して、当事者が備蓄をあまりしていない、なぜなら購入場所が限られていて箱買いしかできない現状や、どれくらい準備したらいいかわからないという声を聞き、全国532名のアンケートを元に防災ハンドブックを作成しました。

動いてみました。

アレルギーっ子ママが考える防災ハンドブックを作製・印刷

 

動いてみました。

冊子増刷の為に、クラウドファンディングで200万円寄付を募り、5万部増刷しました。現在も全国のアレルギーの会から地域へ向けて配布中です。

 
保育所・幼稚園・小学校など集団行動の場、地域イベントに関しても同じ、
食物アレルギーがある人に関わる全ての人に、注意点・危険性・回避方法を正しく理解してもらうことが命を守るうえで大切です。
 
 

協力してもらうために
どうずればいいのか。

当事者の声や要望を伝えるのも大事だけれども、相手側が(しらない・わからない)ことは何なのか、どういうことが手助けになり、どういうことなら協力できそうなのか。当事者は何ができるのか。

 
 

 みんなが出来ることを
少しずつすることで、
実現可能なことがある!

動いてみました。

大阪府茨木市でいばらき親子防災部と一緒に炊き出し訓練をしました。
地域の防災士や婦人会、子育て支援の方がも参加して下さり、アレルギーの表示の見方を学びました。

 地域知識

地域のお祭りで、アレルゲン表示をだして下さるエリアが出来ました。
市のお祭りでも、出店者にはアレルギー表示の提出を必須にするなど、地域の運営実行委員会の方々が一緒になって動いて下さいました。

 

食物アレルギーと共に生きること
それは食物アレルギーがない人とも共存する社会です
お互いに歩み寄るための提案をしていきたい
 

一般社団法人LFA Japan

新たな取り組みの始まりです
 
当事者団体の声をこのLFAできちんと受け止め、そして発信していく
今わたしができること

 

 
課題解決のために今の私にできること

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